飛鳥昭雄説に隠されたモルモン教の罠


(2016年7月14日初出に加筆)


アンドリュー・ジャクソン著『モルモン教とキリスト教はどう違うのか』(いのちのことば社)を読んだ。なぜこの本を読んだかというと、私はかつて、自分でも気がつかないうちにモルモン教の思想に侵され、強く影響を受けていたからだ。



どういうことかというと、私は「古代日本にイスラエル人が渡来した」とする、いわゆる「日ユ同祖論」に強く関心を持ってきたが、その過程で飛鳥昭雄氏という人物の著書をたくさん読んだ。「サイエンス・エンターテイナー」を自称する飛鳥氏は、本業は漫画家であるが、オカルト関係の本を多数著しており、その筋ではかなり有名な人である。彼の取り扱う分野は多岐に渡っていて、日ユ同祖論を始め、ノアの大洪水、天文、UFO、UMA、ノストラダムス、地球空洞論、邪馬台国、古代文明、陰陽道、河童、宇宙人、陰謀論、ヒトラー、ピラミッド、ムー大陸、心霊、妖怪、アポロ計画等、およそ「ミステリー」と呼ばれるものはすべて網羅している。すごいのは、これらがすべて互いに関連しており、一本の線でつながっていることだ。その論理の巧みさに、思わず引き込まれ、納得してしまう。実際、飛鳥氏が取り上げている資料や彼が主張する仮説の中には、真実が含まれているのかも知れない。しかし、彼はあくまで「エンターテイナー」であり、話をおもしろくするための捏造や誇張、脚色が添えられていると思われる。だが、その違いを見分けることは、容易ではない。



そして、飛鳥氏の著作を読む時に気がつかされるのは、彼は聖書に書かれていることが真実だと信じていることだ。その辺の中途半端なクリスチャンより、ずっと忠実に聖書を信じている。彼は、神による天地創造を信じている。彼は地球の歴史が約6000年であることを信じている。出エジプトの時に海が割れたことを信じている。イエスの行った奇蹟を信じている。イエスが死後復活したことを信じている。イエスが神であると信じている。殊に、進化論を真実とする「アカデミズム」の常識を否定する飛鳥氏の主張は、聖書を真実とし神が世界を創造したとする「創造論」と立場が同じだ。現代科学の常識を否定する創造論は、一般世間の感覚ではオカルトといっしょくたにされてしまう。そういう意味では、創造論を掲げる福音派のクリスチャンは飛鳥氏と「共闘」できるかも知れない。事実、創造論や日ユ同祖論について多数の著作がある久保有政師は、オカルト誌『ムー』にも寄稿しているが、その方面で飛鳥氏と共著を出したり、情報交換を行ったりしている。



だが、何かが違う。何とも言えぬ違和感がある。確かに彼は聖書を信じており、イエスの十字架と復活を信じている。しかし、その十字架の意味がすっぽり抜けているのだ。私たちの罪を赦すために私たちの身代わりとして十字架で死に、私たちに永遠のいのちを与えるために復活したという、福音の根本が語られていないのである。それもそのはず、彼はクリスチャンではなく、異端のモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の信徒だったのだ。そのこと自体は割と早くから知っていた。だが、そうであっても、彼が唱える仮説や情報自体は、必ずしも否定されるものではないと割り切っていた。



ところが、飛鳥氏の主張の中には、モルモン教の教理を背景としたものが多数あることが、だんだんわかってきた。私はモルモン教について、「三大異端」(あと二つはエホバの証人と統一協会)のひとつと認識し否定してきたが、その教理については、「聖書以外に『モルモン書』を聖典としている」くらいしか知らなかった。しかし、ネットなどで情報を得るにしたがって、その辺の事情が見えてきたのである。そんな折り、本書を見つけたので、飛鳥説のモルモン教的背景を確認できるのではないかと思い、読んでみた次第だ。そこで学んだモルモン教の教理全般について触れることは、本稿の主題ではないので省略する。だが、その中で飛鳥説と深く関わりのあると思われる点にしぼって、いくつか挙げてみたい。



最も顕著な要素は、三位一体に関してである。「神は唯一であり、『父・子・聖霊』の三つの位格を持っている」とする「三位一体」は、正統派キリスト教の根本を成す最重要教理だ。ところが、モルモン教では三位一体を否定し、「父・子・聖霊」は互いに異なる三人の神々だと見なす。そして、この三人の神々が「神会」なるものを構成していると考える。要するに、モルモン教は多神教なのだ。飛鳥氏も三位一体を否定し、「絶対三神唯一神会」なる表現を用いている。そして、日本神話に登場する「造化三神」や京都の「蚕の社」にある「三柱鳥居」などは、この「絶対三神唯一神会」を反映したものであるとする。



またモルモン教では、ネイティブ・アメリカンの先祖は、太平洋を横断してアメリカ大陸に到達した古代イスラエル人だとする。「ニーファイ人」「レーマン人」と呼ばれる彼らが遺したのが、今日の『モルモン書』だという。日本人の先祖をイスラエル人だとする日ユ同祖論と共通するものがある。飛鳥氏は、太平洋に乗り出したイスラエル人の流れが、一部はアメリカ大陸に着き、一部は日本列島に来て縄文人になったとする。



そして飛鳥説全体を貫くキーワードは、ユダヤ密教「カッバーラ(カバラ)」である。モルモン教の教理はカッバーラを反映した部分が多いらしい。本書ではカッバーラには直接言及されてはいなかったが、「モルモン教徒は、メルキゼデク神権は最初アダムに与えられたもので、末日聖徒教会内のすべての役職の上に及ぶ権威と力を持っていると信じている。(94~95頁)」と記されているものがそれだと思われる。そして、この「カッバーラ」を秘儀として伝えている(らしい)秘密結社が「フリーメイソン」だ。モルモン教の創始者ジョセフ・スミスはフリーメイソンの会員で、モルモン教の「神殿」の儀式はフリーメイソンから借用したものだという(201頁)。飛鳥氏は、著書『失われたフリーメイソン「釈迦」の謎』(学研)で「カッバーラをもって世界統一宗教を成し遂げようとするフリーメーソンには、ひとつだけ重大な弱点がある。預言者である。『神権』をもった本物の預言者がいないのだ。…絶対神ヤハウェ=イエス・キリストから与えられた『神権』を手にした預言者が世に出てくることを近代フリーメーソンは信じ、捜し求めているのだ。(352~353頁)」と述べている。「モルモン教―フリーメイソン―カッバーラ」というラインが見てとれる。



ほかにもいろいろあるが、根本的なのは、モルモン教では、真の教会は使徒たちの死の直後に起こった背教によって失われてしまったと考えていることだ(81頁)。既存の「正統派キリスト教会(カトリック、正教、プロテスタント)」はみなサタンによる背教の教会ということになる。モルモン教はこの「背教」した一般の教会のことを「ギリシャ化されたキリスト教」と呼ぶ。キリスト教会は異邦人世界に広がるにつれて聖書の真理を妥協させ、ギリシャの文化や哲学に同化させてしまったというのだ。ギリシャ化される前の「ヘブル的」あるいは「聖書的」なキリスト教こそ真の教会だという(85頁)。そして、ジョセフ・スミスに与えられた啓示によって回復した唯一の真の教会こそが、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)だと言うのである。



一方飛鳥氏は、初代のユダヤ人信徒からなる「エルサレム教団」の「原始キリスト教徒」たちが、真理であるカッバーラを携えて日本にやって来たと主張する。彼らがAD70年のエルサレム陥落の時にヨルダン川東岸のペラに逃れたところまでは、わかっている。飛鳥氏は、彼らが更に東遷し、その末裔が日本にたどり着いて、謎多き渡来人「秦氏(はたし)」になったとする。秦氏は多くの神社を創建し、現在の神道の基礎を造った。そればかりではなく仏教にも深く関わっている。エルサレム教団秦氏によって受け継がれた真の教会は、カッバーラの仕掛けで日本に隠されているというのが飛鳥説だ。そして、それは世の終わりに明らかにされるという。「真の教会は使徒たちの死の直後(1世紀末)に失われた」とするモルモン教と「真の教会は1世紀末のエルサレム教団失踪により失われた」とする飛鳥説。「失われた真の教会はイスラエル人の末裔であるネイティブ・アメリカンによって隠されていた」とするモルモン教と「失われた真の教会はイスラエル人の子孫である日本に隠されている」とする飛鳥説。そして「隠されていた真理は、末日にジョセフ・スミスへの啓示によって明らかにされた」とするモルモン教と「隠されている真理は世の終わりに明らかにされる」とする飛鳥説。アメリカ大陸を日本列島に置き換えれば、見事に符合する。



そして、モルモン教の「信仰箇条第十条」では「わたしたちは、イスラエルの文字通りの集合と十部族の回復とを信じる。」と謳われているそうだ(233頁)。イスラエルの「失われた十部族」は、日ユ同祖論の要である。飛鳥説では、複数の系統のイスラエル人が数次に渡って日本に来たとされており、先述の太平洋からの集団やエルサレム教団もあるが、メインとなったのはやはり北王国系の十部族とされる。彼らが、皇室の祖になったという。モルモン教では十部族の回復が「末日」の鍵を握っているようだが、その十部族は日本から現れるというのが飛鳥説である。



整理すると、「真の教会たる原始キリスト教・エルサレム教団は1世紀末に失われ、その真理たるカッバーラはイスラエル人の子孫によって隠された。以来、サタンによってギリシャ化した背教の教会が『正統派教会(カトリック、正教、プロテスタント)』として世界に広まっているが、末日にイスラエル人の子孫によって真の教会が回復する」というのがモルモン教なり飛鳥昭雄氏なりの考えなのだ。ただ、舞台がアメリカ大陸か日本列島かの違いである。



そして、この考え方が、かつての私の考え方と一致したのだ。私は、「ユダヤ人信徒からなる初代教会こそ、理想の純粋な教会であった。しかし異邦人にキリスト教が広まっていく過程で本来のユダヤ性が失われ、教会はギリシャ化し、ローマ帝国の国教化されるに至って堕落した。そしてクリスマスや、聖人・マリア崇敬などの異教的要素が教会に入ってきた。私たちは、このローマ教会の流れを汲む『正統派キリスト教(カトリック、正教、プロテスタント)』の伝統を断ち、ヘブル的・聖書的な初代教会に直接つながらなければならない」という考えを持っていた。カトリック的な迷信から離れて純粋な聖書信仰に立ち返ることは、宗教改革以来プロテスタントの追求してきたところである。またユダヤ人に与えられた神の救いの計画を知り、キリスト教のヘブル的ルーツを理解することの重要さは、近年認識されつつある。ところが、これらを追求するあまり、私は、一見似ている飛鳥昭雄氏の主張、ひいてはモルモン教の教えに、知らず知らず取り込まれていたのだ。特に、正統派キリスト教の教える三位一体の神観に疑問を持ち、モルモン教の多神教的な神観に惹かれた。三位一体は直接聖書に書かれているわけではなく、堕落したローマ教会の主導した公会議で決められたものだと考えたからだ。



しかし、三位一体こそ「正統」と「異端」を分ける最後の砦である。この一線を超えると、真理から外れ、完全に異端となってしまう。私はそのことだけはわかっていた。そして、何とか踏みとどまることができた。



また、私たちは、初代教会、すなわちユダヤ人の「原始キリスト教徒」からなる「エルサレム教団」から一足飛びに信仰を伝えられたのではない。ジョセフ・スミスのような「預言者」が現れて隠されていた真理を発見したわけでもなければ、秦氏によって日本にもたらされた原始キリスト教の奥義を代々受け継いだわけでもない。たとえ途中に堕落や過ちがあったにせよ、ローマ帝国を経由してヨーロッパで発展した「正統派キリスト教(カトリック、正教、プロテスタント)」の歴史・伝統を介して、キリストの福音を受け取ったのである。そのことに気づき、歴史観が変わってゆき、「教会」を受け入れられるようになってきた。



このブログの前身である旧版『シオンの城壁』(現在は閉鎖)の過去記事を振り返ってみると、当時は自覚しないまま、どれほど「飛鳥史観」に傾倒していたかがわかる。何しろ、「神道には原始キリスト教の奥義が隠されている」との考えから、一時期は熱心に神社参拝をしていたのだから。今となっては恐ろしい限りだ。その状態から、何年もかけて、ここまで神が連れ戻してくださったのである。

この記事へのコメント

  • アルス

    「三位一体」は、正統派キリスト教の根本を成す最重要教理だ、という考え方は間違いです。なぜなら、聖書には「三位一体」=「トリニティ」という言葉ないからです。聖霊を受けていない、精神的に腐敗堕落したローマ・カトリック教会が、後世に生み出した神観です。

    聖書に基づけば、「唯一神」=「ワンネス」こそが正しい神観です。これは、人間が「霊・魂・体」の三重から成る一者であるように、神は「父・子・聖霊」の三重から成る一者である事を意味します。ワンネスを裏付ける聖句は非常に多い。例えば、次のものがあります。

    ヨハネ 14:9
    『イエスは彼(ピリポ)に言われた。 「ピリポ。・・・わたし(イエス)を見た者は、父を見たのです。 どうしてあなた(ピリポ)は、[私たちに父を見せてください。] と言うのですか。』

    ヨハネ 17:6、11、12
    『わたし(イエス)は、あなた(父)が世から取り出してわたし(イエス)に下さった人々(弟子たち)に、あなた(父)の御名(ヤハウェ=イエスであること)を明らかにしました。・・・』

    コロサイ 1:15
    『御子(イエス)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものよりも先に生まれた方です。』


    2019年10月02日 15:11
  • 川崎貴洋

    聖書主義を追究するあまり、聖書に「三位一体」という語がないから、またローマ帝国主導による公会議の決定に根拠があるからと言って、三位一体を否定するのは行き過ぎです。エホバの証人も、モルモン教も、形は違いますがそれぞれ同じ過ちを犯しました。
    2019年10月05日 00:15
  • カッバーリスト

    人の知恵を絞って会議で話し合った三位一体という「結論」を、あたかも啓示を受けたかのような「絶対的真理」に置く正統派キリスト教は異邦人教会の流れを汲む点では正統であっても「本末転倒」している点で異端化しているのであり、駅から離れる列車の窓からは駅から遠ざかって見えるものだw
    また、どんなに敬虔な信仰者であってもエンターテインメントの著書で宗教色の強いキリストの贖罪に触れないことは至極当然の話だと思うのだがw
    彼の主張が一貫していて説得力を持っているのは、土台としている異端知識が真理を貫いているからにほかならず、啓示を求めずに暗闇を歩き続ける誤った伝統により正統の看板にしがみつかせることこそ盲人が盲人の手を引く罠であるという見方もあるのだw
    2020年03月17日 09:16
  • ライデン図書館員

    ■ブログ作者の川崎氏という福音派のクリスチャンを自称した、自覚なき悪魔崇拝者による虚偽教理の宣伝記事、ローマ・カトリック教会の「三位一体神」という誤謬の神観など、全ては、終末の時代における「惑わしの霊」「惑わしの力」の虜になった、地獄へ落ちる者どもの、たわごとである。

    ■2テサロニケ
    2:10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

    2:11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

    2:12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

    2020年04月13日 03:45