「聖書のみ」を信仰の土台とするのがプロテスタントの信条である。この「聖書のみ」を追求していった結果、「聖書に描かれた初代教会、すなわち一番初めのエルサレムのユダヤ人教会こそ、純粋な理想の教会である」とする一方、「4世紀にローマ帝国に公認され、国家の権力と癒着して以来のキリスト教は、堕落した、不純な教会である」考える人々がいる。そして、自分たちは、そのような不純なキリスト教の歴史を一足跳びにバイパスして、初代教会と直結し、そこから直接信仰を受け継いでいるとする。
しかし、本当にそうであろうか。今あるクリスチャンたちはみな誰かから伝えられたことによって信仰を受け継いだのである。初代のエルサレム教会から直に信仰を受け継いだ人など皆無だ。初代教会と今の私たちの間には2000年のキリスト教会の歴史が横たわっている。具体的に言うなら「エルサレムのユダヤ人教会→シリアのアンティオキア教会(今のシリア正教など)→東方のギリシア教会(今の正教)→西方のローマ教会(今のカトリック)→宗教改革(今のプロテスタント)→アメリカの福音派など→日本の教会」というものだ。
確かにそれは決して純粋なものではなかった。多くの堕落や失敗があった。様々な不純物も入り込んだ。それでも神は、そのような教会を赦しつつ、軌道修正しながら、現在まで教会を用いて来られたのではないか。
「自分は教会の歴史を受け継いではいない。あくまで聖書から直接信仰を受け継いだのである。」と言い張る人がいるかも知れない。しかし、その聖書は、カトリックやプロテスタントの教会の働きによって、翻訳・出版され、あなたのもとに届いたのである。
それでも尚、教会の歴史を否定し、初代教会との独自のつながりを主張した結果、道を大きく逸脱し、「異端」となってしまったのが、エホバの証人やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)だ。彼らは純粋であろうとして教会の歴史を批判するあまり、独自の聖書を作ってしまったり(エホバの証人の新世界訳)、古代イスラエルから直接もたらされたとする書物を作ってしまったり(モルモン教のモルモン書)して、結局聖書信仰とはまったく別のものになってしまったのである。
あるいは、日本の神道は古代イスラエルの信仰や原始キリスト教会の信仰を受け継いだものであると主張して、日本人こそ純粋な古代の信仰の継承者であるとする人々もいる。だが、仮にそれが事実だとしても、多神教・自然崇拝となってしまった現在の神道は、既に聖書信仰とは全く異質なものである。そもそも欧米からキリスト教が伝えられたからこそ、そのような見方も出てきたのであろう。欧米渡来のキリスト教の知識抜きに、日本の伝統だけからキリスト教信仰に至るというのは、やはり無理がある。
「聖書のみ」信仰は、決して教会の歴史を無視・否定することではない。2000年に渡るキリスト教の歴史の延長線上に、今の私たちがある。その歴史を通して伝えられてきた聖書に立つということではないか。

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