齊藤颯人氏の書いた「『日本国紀』だけじゃない!書店にはびこる「エセ歴史本」に惑わされないために」https://news.yahoo.co.jp/articles/d7b8f4cf5dca921d4772e540696f4b23196d335f?page=1という文章を読んだ。
内容はデタラメなのに、その斬新さ・意外さ(例えば「上杉謙信は女性だった」など)と、文章の面白さで読者を惹き付けてしまう「エセ歴史本」について論じたものである。このような本は、不必要に強いことば(例えば「教科書は教えてくれない〇〇」や「誰も知らない〇〇」など)で読者を引き込むが、客観的な証拠に乏しく、学術的には相手にされないものだという。
日ユ同祖論に関する本などもこの類に入るものが多いのではないか。(飛鳥昭雄氏など典型的だ。)私もこの手の本に一時期はまっていた。また、こういう本に憧れて、自分でも書いてみたいと思った。ネットや本で見つけたあまり信憑性のなさそうな情報をつなぎ合わせては、想像力で膨らませ、自分なりの新説を作り上げては、旧版のブログなどで発表していた。「カトリックの聖母マリアとイスラムのアッラーは起源が同じ悪霊である」とか、「鳥居は十字架に架けられたキリストの姿を模したものである」などといった具合だ。
だが、今はだいぶ慎重になったつもりである。以前は、ローマ帝国の公認を受けた「正統派」のキリスト教会の歴史は堕落したものであると考え、日ユ同祖論などのいわば「裏歴史」に関心を抱いていた。だがそれは結局のところ「エセ歴史」だったのだ。しかし教会史を学ぶようになって、確かに過ちや失敗はたくさんあったにせよ、この「正統派」の教会の歴史を介して、自分はキリストの福音を継承したのだとわかってきた。そのような流れの中で、軽率に「エセ歴史」を盲信しないよう注意するようになった。また、ブログで新説を取り上げることがあったとしても、引用なら「という説がある」「と言われている」のように断定を避けるとか、私の考えたものならあくまで個人的な仮説であることを明記するとか、なるべく気を付けている。

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