聖書を信じない牧師の本に首を傾げる

山口雅弘著『イエス誕生の夜明け~ガリラヤの歴史と人々~』(日本キリスト教団出版局)を読んだ。イスラエル全体の歴史や風土を解説した本はよくあるが、イエスの活動の中心地であったガリラヤに特化した本は珍しい。これはおもしろそうだと思って読み始めたが、内容は、私の期待とは大きく違っていた。

確かにガリラヤの歴史(旧約聖書時代からAD1世紀頃に至るまで)や、そこに住む人々の暮らしについて豊富な資料から解説が試みられている。特に、ガリラヤの人々は旧「北イスラエル」王国の末裔であり、この地域ではアッシリアによる強制移住や住民混合政策は大規模には行われなかったという考察は興味深い。確かに、新約聖書に於いて、「ユダ王国」の末裔であるユダヤ地域とも、異民族との混血が進んだサマリヤ地域とも、ガリラヤは違っている。

ところが、全編を通して、単なる解説に留まらず、特定の思想によって色づけされているとの印象を受けた。具体的には、「フェミニスト神学」と呼ばれるものだ。男性中心の社会で差別されてきた女性たちの解放を訴える政治的姿勢。それを聖書の読み方に適用する神学、といったようなものらしい。

だから、本文中では「彼ら」となるべき代名詞がいちいち「彼女ら、彼ら」と表記されている。英語の「they」に相当する日本語の「彼ら」には、男女の違いで差別する意味合いはないと思うのだが。これでは単なる言葉狩りであろう。

女性に限らず、社会の弱者と強者―農民たちと、富裕層や政治的指導者たち―の対立を、著者はことさらに強調する。「搾取」という単語がやたら多く使われている。共産主義者の文章を読んでいるようだ。確かに聖書は不正な金持ちや指導者たちの罪を指摘しているが(ヤコブ5章等)、指導者たちの権威を尊び、彼らに従うようにも奨めているではないか。

いや、そもそも著者は聖書を「誤りなき神のことば」と信じてはいない。たとえば、「マルコが報告する出来事は伝説的要素が強く、そのまま歴史的事実とは言えません。(175頁)」と断言している。そして、聖書の中から「女の頭(かしら)は男(第一コリント11:3)」「女性たちは、教会では黙っていなさい(第一コリント14:34)」などなどの箇所を挙げ、「父権制の男女観が強く反映されて(214頁)」いるとして、「これらを『神の言葉』として『黙って』聞き従うことができる女性が、現在どれほどいるでしょうか。これらの語りかけに女性も男性もまじめに向き合う時、もし疑問に思わなかったり、怒りさえ感じなかったとしたら、『聖書』の読み方のどこかにまやかしがあると言わなければなりません。(215頁)」と語気を荒げる。

「妻たちよ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。(エペソ5:21。214頁に章節箇所のみ引用。)」という夫婦愛の教えも、男女差別になってしまう。更には「(女性は)子を産むことによって救われます。(第一テモテ2:15)」という箇所を「ひどいこと」と評し、レビ記の生理や出産を「汚れ」と見なす規定を批判する(216頁)。

どうして聖書を素直に「神のことば」として受け止められないのか。時代背景による文化の違いを考慮すべきことは、著者が誰よりわかっているだろうに。現代の、いや自分の価値観に合わないからといって聖書のほうを否定するというのは、本末転倒ではないか。

そしてついに著者は、「歴史的イエスではありませんが、復活したイエスがパンと焼き魚を食べたという伝承があります。(237頁)」と述べる。歴史的イエスすなわち実在したイエスと、聖書に描かれたイエスとは異なっているとした上で、復活したのは歴史的イエスではない、つまりイエスの復活はなかったと言っているのである。その結果、イエスが罪からの救い主ではなく、単なる社会運動家のように描かれてしまっている。

これが学者の書いた本ならば、今さら驚いたことではない。復活も聖書も信じていない聖書学者などざらにいる。ところがこの本の著者は、経歴を見ると、牧師なのだ。「路上生活者、日雇い労働者、また障がいをもった人々(261頁)」に寄り添う働きをしてきたという著者は、決して口先だけの信仰者ではあるまい。しかし、いくら忠実であっても、聖書や復活を否定する牧師というのはやはり疑問だ。本題のはずのガリラヤ論が充実しているだけに、惜しい一冊であった。

この記事へのコメント

  • 沼野治郎

    詳しくはこの著者について存じませんが、昨今の聖職者は国内外の神学を修めていますから、キリスト教系大学の教授も含めて、批判的神学の先端を承知していて、ご指摘のような表現になるのだと思います。

    私は、それは時代の流れであり、傾向であると思っています。寛容な気持ちで受けとめてあげればよいのでは、と感じています。
    2023年12月25日 00:10
  • 川崎貴洋

    沼野治郎様
    コメントありがとうございます。(実に丸一年ぶりに当ブログにいただいたコメントです!)
    聖書は誤りなき神のことばであり、文字どおりそのまま信ずるべきものであるという大原則は、時代が変わっても決して変わるものではないと考えます。
    2023年12月26日 22:49