前回 http://cavazion.seesaa.net/article/483076994.html 、キリストの福音はローマ帝国による公認・国教化を始まりとするローマ教会 (現代の「ローマ・カトリック」の意ではなく、カトリック、プロテスタント、正教の原型となったローマ帝国の教会のこと)の歴史を通して現代にまで伝えられてきたことを確認した。しかし、堕落したローマ教会を嫌い、その歴史が自分につながっていることを無視する人々もいることを書いた。
例えば「キリスト教のユダヤ的ルーツ」を「過度に」強調する人々である。誤解しないでいただきたいが、キリスト教のルーツがユダヤにあること(聖書は、イスラエルの地を舞台として、ユダヤ人の歴史・文化を背景に、ユダヤ人の手によって書かれた。イエス自身も、その使徒たちもみなユダヤ人であった)を知るのは非常に大切であると私も思っているし、そこから派生するイスラエルへの愛情も変わらない。だがユダヤ文化を重視するあまり、ローマ教会の成立に伴ってキリスト教の中に入り込んできた異文化、もっと言えばギリシア文化を悪いもの、汚れた不純物のように見なす人々がいる。
しかし、そもそも新約聖書はギリシア語で書かれている。使徒パウロが伝道した地、また彼が書き、後に聖書に収録された書簡の宛先は、ギリシア文化圏(今のトルコ地域含む)であった。「ユダヤ文化は有益で、ギリシア文化は有害だ」というのは極論ではないか。
ギリシア人はユダヤ人と同じようにならなくても、ギリシア人であるまま、ギリシア文化を保持したまま、イエスを信じるだけで救われるというのが聖書の教えではなかったか(使徒15章等)。福音の本質を曲げない範囲内ならば、ギリシア人をはじめとする異邦人(非ユダヤ人)の文化が教会の中で取り入れられても許されるのではないか。クリスマスなどはその代表例だ。
もっとも、実際の歴史は、異邦人化したローマ教会が逆にユダヤ文化を否定し排除してきた。今、その反動でユダヤ文化を見直す機運が高まっているのだけれど、それも行き過ぎるとまた同じことの繰り返しになってしまうのではないだろうか。
もうひとつの事例。「日本には、古代にキリスト教が伝わっていた」とする説である。ローマ教会から異端とされた「ネストリウス派」のキリスト教、いわゆる「景教」が、古代日本に伝わっていたとされる。(初代教会のユダヤ人信徒たちが来日したとする説もある。)渡来人の一族「秦氏(はたし)」がキリスト教徒だったとか、空海と最澄が入唐した際、仏教の経典と一緒に景教の聖書を持ち帰ったとか言われる。だから、日本の神道や仏教にはキリスト教の影響が残されているという。(例えば稲荷神社は本来秦氏の氏神だった。)
これらの説自体は何とも言えない。あり得なさそうな話ではあるが、あり得ない話でもない。その真偽はともかく、こういう説をとる人たちの発想はこういうことであろう。「欧米のキリスト教は堕落したローマ教会の歴史を背負っている。ローマ教会から異端視され分岐し、東方に伝わった景教にこそキリスト教の純粋な姿がある。実は我々日本人は、この純粋なキリスト教を欧米人に先んじて受け取っていたのである。」
だがこの主張には致命的な欠陥がある。いくら古代日本にキリスト教が伝わっていたとしても、今、その系統を通して福音を信じる人は一人もいないということだ。古代日本に伝わった(とされる)キリスト教は、仏教や神道に埋没し、消滅してしまったからである。今、「仏教・神道のルーツはキリスト教だ」と言っている人たち自身はみな、プロテスタントの信者だ。明治以降、ローマ教会の流れを汲む欧米のキリスト教会の宣教によって成立した諸教会の信徒である。「稲荷神社でキリストの福音を聞いて信じました」とか「真言宗のお寺で聖書を読んで信じました」という人は誰もいない。(寺社で抱いた宗教心が求道のきっかけになったという人はいるかも知れないが、福音そのもの、聖書そのものは教会の働きを通してでなければ知ることはできない。)
以上、これらの人々に共通するのは、ローマ教会に対する忌避と、そのローマ教会の歴史をバイパスしてユダヤ的な初代教会につながろうという思いだ。しかし、私たちは、初代教会から直接信仰を受け継いだのではない。たとえそれが過ちや失敗に満ちていたとしても、ギリシア文化の上に立つローマ教会の歴史を経由して、親福音を伝えられてきたのである。ちょうど親を選ぶことができないように、たとえそれが嫌だとしても、ローマ教会は言わば我々の霊的な先祖、親である。
とはいえ、確かにローマ教会の過ちには決定的に認められないもの、福音の本質を曲げてしまうものもあった。宗教改革によってそれらは取り除かれたが、カトリックや正教には今もなお残っている。その最も顕著なものがマリア信仰だ。これについては機を改めて述べたい。

この記事へのコメント
アハ
また、「ローマ・カトリック教会の最大の間違いは、マリア信仰である」という虚偽を宣伝してはなりません。十戒から「安息日を守れ」「偶像を礼拝するな」を削除した事です。マリア信仰や聖人崇拝などは、これに比べれば何の邪悪性もありませんし、むしろ、堅い信仰生活を送る上で、模範になるため、好ましいぐらいです。
川崎さんの邪悪なところは絶対に悔い改めませんし、反省して訂正する事がないので、「自称クリスチャンである悪魔崇拝者」として、ここに認定します。
川崎さんが、"ローマ教会の歴史をバイパスする人々"という間違った考え方に取り憑かれ、絶対に訂正しない理由は、この考え方が川崎さんのアイデンティティーだからです。川崎さんのアイデンティティーは、悪魔崇拝者が求める必要不可欠なアイデンティティーです。
あんちゃん
https://youtu.be/jtUXcxAKb5c
【ダメ絶対】聖書の内容を変えてはいけない理由【ガラテヤ1章一口メッセージ④】2021/10/27 松本章宏
使徒パウロは、イエス・キリストの啓示を受けた。教会の人に教えられた福音をユダヤ人と異邦人に伝道したのではない。
ガラテヤ人への手紙1:12『私(パウロ)はそれ(福音)を人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。』
川崎貴洋
松本先生とはイスラエル旅行でご一緒したことがあり、大変敬愛している先生です。
私の言いたいことが、文章の拙さ故になかなか理解していただけないようです。もちろん、唯一の真の福音は使徒たちに啓示されたものであり、それは聖書に記されました。それに何かを付け加えることは許されません。
それで、現代の私たちは、その福音を使徒のように直接啓示されて受け取ったわけではありません。必ず、誰かに伝えられて、言い直せば教会の働きを通して福音を受け取ってきたはずです。そして、その教会の歴史を遡っていくと、ローマ教会に行き着くのです。
確かに、ローマ教会は福音にたくさんの混ぜ物をして堕落してしまいました。その直系であるローマ・カトリックにも、その過ちは残っています。私は、カトリックを同じ信仰を持つ兄弟と見なすことができません。
しかし、それは私たちがローマ教会と無関係に存在していることを意味しません。私たちは使徒時代の初代教会から直接信仰を受け継いだわけではありません。プロテスタントは、ローマ教会の中から、ローマ教会の改革運動として発生したのです。ルターは土の中から古代の聖書を発見して信仰義認の教えを見出したわけではありません。ローマ教会に伝えられてきた聖書の中から真理を知ったのです。
私も言わんとすることを上手く伝えられずもどかしいところですが、何とか汲み取っていただければ幸いです。