『讃美歌』の差別語?

長く親しまれていた1954年版の日本基督教団賛美歌委員会編『讃美歌』。1990年代頃に正誤表のようなものが付いて、いくつかの収録曲の歌詞が修正された。どうやら、いわゆる「差別語」「不快語」などの言い換えが目的のようである。(尚、この修正後の歌詞は日本福音連盟『新聖歌』にも踏襲されている。)その中に、待降・降誕に関する歌がいくつかあったのだが、次のとおりだ。

〈95番2節〉
旧歌詞「数に足らぬ はしためをも 見すてず」
新歌詞「数に足らぬ わが身なれど 見すてず」

〈98番2節〉
旧歌詞「いやしき賎(しず)の 処女(おとめ)にやどり」
新歌詞「御霊によりて 処女に宿り」

〈111番2節〉
旧歌詞「賎の女(しずのめ)をば母として」
新歌詞「おとめマリア母として」

・・・いずれも「はしため」とか「賎の女」とか、身分の低い女性、もっと言えば「女奴隷」を指すことばを、不快語として言い換えているように見受ける。だが、これらの語のどこが不快語なのか、あるいは差別語なのか、私には全くわからない。現代人の感覚から見れば不本意かも知れないが、昔は奴隷制度とか身分制度とかが現実に存在したわけで、それらは何らかのことばで表現されなければならない。それを「差別語」と言われても困る。「はしため」や「賎の女」ということばをなくしてみたところで奴隷制度の歴史を消せるわけでもない。私には単なる「ことば狩り」にしか思えないのだが。

また、新歌詞は単なる言い換えではなく、意味が全く変わってしまっている。だがむしろ旧歌詞の方が、「女奴隷のようなとるに足りない私さえ、神はあわれんでくださった」「神であるべきイエスが、私たちのためにへりくだり、身分の低い女性の子として生まれてきてくださった」という神の愛、キリストの愛がより鮮明に伝わって来るのではないか。私はこれらの歌の原詞を知らないので、どちらが本来の歌詞に近い訳なのかはわからないけれど、日本語版を見る限り、却ってもったいない改変だったのではないかと思う。

それにしても、これらの改変はいずれもマリアに関するものだ。身分の低い女奴隷として歌われていたマリアの姿が隠されてしまっている。まさか、エキュメニカル運動(プロテスタントとカトリックの合同を目指す運動)に影響されて、マリアを「天の女王」として「崇敬」するカトリックに忖度した結果ではあるまいな・・・と邪推してしまう私であった。




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