教会の歴史を通して伝えられて来た聖書の福音

私たちの信仰の土台は聖書にある。聖書こそが神のことばであり、キリスト者の拠って立つべき唯一の規範である。そして聖書の背景にはイスラエル・ユダヤがある。聖書は、イスラエルの地を舞台に、ユダヤ人の歴史を軸として書かれた。イエスはユダヤ人であり、使徒たちも最初の信徒たちもみなユダヤ人であった。キリスト教のルーツはエルサレムのユダヤ人教会にある。

だが私たちは、彼らから直接聖書信仰を受け取ったわけではない。エルサレムのユダヤ人教会と現代日本に生きる私たちとの間には、長いキリスト教会の歴史が存在している。具体的に言うならば、「エルサレム→シリアのアンティオキア→ギリシア→ローマ→ヨーロッパ・アメリカ→日本」という流れである。これを現代も各地に残る教派で表せば、「(エルサレム)→シリア正教などの東方諸教会→ギリシア正教などの正教会→ローマ・カトリック→宗教改革によるプロテスタント→日本の教会」という流れになる。

こういうことを書くと、ローマ・カトリックなどの堕落を踏まえてのことだろう、激しく反発してくる人がいる。「ローマ教会が起源だと言うのはあなた自身だけの話だ。私たちは違う。あなたは悪魔崇拝者だ」と。

だが、本当にそうだろうか。よくよく考えてほしい。あなたは誰から聖書を伝えられたか。人によって様々ないきさつがあるだろうが、いずれにせよ、教会の働きを通して伝えられたはずだ。中には自分で直接聖書を手にして学んだという人もいるかも知れない。だが、その聖書を翻訳し配布・販売したのは、日本聖書協会なり、新日本聖書刊行会なり、教会の働きを背景とした団体である。そして、こうした日本の教会の歴史を遡ってゆけば、必ず、欧米からやって来た宣教師たちの働きに行き着くはずである。

そして、欧米のプロテスタント諸教会は、ローマ・カトリックから聖書を受け継いだ。ルターもはじめはカトリックの修道士だった。彼は、カトリック教徒としてウルガタ訳の聖書を読んでいる時に、信仰義認の教理を発見したのである。ルターは別に、古代ユダヤ人が土の中に隠した聖書を掘り出して福音を発見したわけではないのだ。

更に遡るなら、(新約)聖書が現在の形にまとめられたのは、397年の「カルタゴ会議」でのことである。それは、教会が聖書の上位であることを意味するものでは決してない。だが、どの書物が神のことばたる「正典」であるのか確認したのは、古代ローマ教会の働きであった。

もちろん、歴代のキリスト教会にはたくさんの過ちがあった。マリア信仰や聖人信仰、十字軍、そしてかの贖宥状の販売、また国教制度に魔女裁判などなど。ローマ・カトリックや東方正教会にはそうした負の遺産がまだ残っている。(いや、プロテスタントだって他人のことは言えないかも知れない。)私も、決してそれらを良しとしているわけではない。私はローマ・カトリックを同じ信仰を持つ兄弟とはどうしても思えないし、カトリックとプロテスタントの合同を目指すエキュメニカル運動には反対である。

しかし、それが嫌だからといって過ちを犯した昔の教会の歴史を消せるわけではない。彼らと私たちとのつながりを否定することもできない。だからこそ、ルターらの先人たちはそうした教会の「改革」を行ったのだし、それはある意味今も、これからも続いていくのである。

何より神が、そんな過ちだらけの教会の働きをあえて用いて、聖書の福音を伝えて来られた。そして今もなお、決して完璧ではない私たちを用いて、働きを続けておられるのである。



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