「イエスはユダヤ人」は、ばちあたり?

ウーリー・オルレブ作『走れ、走って逃げろ』(岩波書店)を読んだ。ナチス・ドイツ占領下のポーランドを舞台に、ナチスの追っ手を逃れながら、ひとり必死に生き抜く幼い少年の物語である。

主人公の少年は、自らがユダヤ人であることを隠し、キリスト教徒のふりをして、あちこちの農家を渡り歩いては住み込みで働くのだが、ある家でのこと。素性がバレた少年は、その家を追い出されてしまう。その時、彼に同情的だったおかみさんが「イエスさまがお守りくださるよ」と言うと、その息子が「イエスさまだってユダヤ人だったんだ」と相づちを打つ。それを聞いた家の主人は怒って「ばちあたりめが!なんてことをいうんだ?地獄に落ちるぞ」と言い返すのである。

この発言に、ヨーロッパのキリスト教徒に深く根づいた矛盾を見る。ユダヤ人を激しく憎悪・軽蔑し、一方でイエスを救い主として崇める。だがそのイエスはれっきとしたユダヤ人なのだ。その矛盾を突かれても、認めることができない。いや、そこに矛盾が生じていることを理解することができない。イエスをユダヤ人扱いすることは、地獄に落とされるほどのばちあたりだとすら考えている。

一方、子どもは素直だ。「イエスはユダヤ人だった」ことを当たり前の事実として認めている。そして、イエスの同朋のユダヤ人のことを受け入れている。この子どもの視点こそ、キリスト教徒が本来持つべきものであろう。と言うか、聖書を読むなら自然と生じる理解のはずである。なぜなら、聖書はユダヤ人が神の選びの民であり、イエスはユダヤ人であったことを明快に語っているからだ。

それにもかかわらず、ヨーロッパでは、根強いユダヤ人差別が後を断たない。恐らく、日本の葬式仏教のように「先祖代々キリスト教徒」というだけで、実際に聖書を読まないキリスト教徒が大半だからではないか。そこに加えて、古代以来の反ユダヤ主義にどっぷり浸かってしまっているのだから始末が悪い。

その点、日本のキリスト教徒にはユダヤ人に対する偏見が比較的少ない。反ユダヤ主義のバックボーンがなく、また元々クリスチャンの少ない国でわざわざ信仰を持つぐらいの人々なら、聖書も読んでいる(はずだ)からだ。しかし、一方で日本人はユダヤ人と直に触れ合う機会が少ない分、ヨーロッパ人が体験してきたであろうユダヤ人との利害関係や日常生活でのあつれきもない。故に、ユダヤ人のことを、良くも悪くも純粋な目で、時に過剰に美化して見てしまうのも実態ではないだろうか。聖書に土台を置きつつ、客観的な目を、共に養いたいものである。

※2022年7月29日追記:著者のウーリー・オルレブ氏が、今般死去したとの報道がありました。また、第2段落に一部わかりにくいと思われる表現があったため、加筆修正しました。

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