2月11日は「建国記念の日」である。「建国記念日」ではない。この日は「日本が建国された日」ではなく「日本が建国されたことを祝う日」だからだ。実際に日本が建国された日はわからないので、神話で初代神武天皇が即位したとされている日に、建国を祝うこととされたのである。「記念の日」という表現にはそんな微妙な意味合いが込められている。
クリスマスも同じだ。クリスマスは「イエス・キリストの誕生日」ではない。クリスマスは「イエスが生まれた日」ではなく「イエスが生まれたことを祝う日」なのだ。イエスが実際に生まれた日はわからないので、12月25日に降誕を祝うことにしたのである。(もっとも、聖書の記述を精査すると、イエスが生まれたのは今の9~10月頃であった可能性がある。)
では、なぜ12月25日が選ばれたのか。この日は元々、冬至の祭であった。古代ローマで流行したミトラ教では太陽神の誕生日とされていた。(それまで衰えてきた太陽の光が、冬至を境に盛り返すから。)また、この時期に祝われていたサトゥルナリア祭の影響も指摘されている。北欧では冬至の祭をユールと呼んでいたが、今はクリスマスのことがユールと呼ばれている。いずれにせよ、異教の祝祭がキリスト教に採り入れられた結果誕生したのがクリスマスであることは間違いないようだ。
では、私たちはこの歴史をどのように理解し、どう評価すべきか。異教への妥協による堕落、宗教混淆だと考えることもできる。いや、異教を征服した勝利のしるしだという見方もある。あるいは、異教に支配されていた日が、キリストの十字架によって贖われたのだとする考え方もある。
いずれもこれが正解だと言うことはできない。各人が考え、それぞれなりの回答を出すべきであろう。その上で、クリスマスを有意義に祝う(あるいは祝わない)ことができるなら幸いである。

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