受肉の奇蹟~オリエント型の神とギリシア型の神~

今、井上浩一著『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)を読んでいるのだが、その中で、キリスト教の起源について興味深い考察があった。

以下、「オリエントの神、ギリシアの神」と題された項(145頁)からかいつまんで引用していく。著者は、「古代の地中海・オリエント世界ではふたつのタイプの神がみられた」と主張する。「ひとつは古代エジプトやバビロニアの神のように、全知全能で、近づきがたい超越的な神である。……このタイプの神をオリエント型と呼ぶならば、イスラエルの神もオリエント型に含まれる。」

一方、「もうひとつのタイプはギリシア型とでも呼ぶべきものである。ギリシア神話の神々に典型的にみられるように、このタイプの神は、人間の姿をもち、人間と同じような感情をもっている。」そしてこれらは、専制君主制と民主制という、それぞれの地域の政治体制と結びついていた。

ローマ帝国は基本的にギリシア型の神をもっていたが、オリエント型の信仰をもつ地方を支配下におくようになったこと、それと同じ頃に民主制から帝制に移行したことから、オリエント型の神を受け入れる下地ができあがっていた。

「キリスト教もそのような宗教のひとつであった。ただしキリスト教は重要な点において他の宗教とは異なっていた。神のあり方である。思い切ったいい方をするなら、キリスト教の神は、オリエント型の神とギリシア型の神の折衷であった。ユダヤ教から全能・不可知の神というオリエント型の性格を受け継ぐ一方で、『受肉』という『奇蹟』によって、人間に近づきうる神というギリシア型の特徴も合わせ持とうとしたのである。」

ギリシア型の神では頼りなく思われ、オリエント型の神では自分たちからはるかに遠いと思われていたローマの人々にとって、「全能の神が、人々を救うために、人間の姿をとって地上にあらわれた、と説くところにキリスト教の最大の魅力があったのである。」

……引用はここまでだ。もちろん、これは「非宗教人(144頁)」を自認する著者の分析であり、私たち信仰者の理解とは違う。キリスト教の神観は政治体制や地方の特色、そして人々の願望を背景として、人間が作り出したものではない。実際に、全知全能の唯一の神がおられ、この方が人間になって来られたという事実に基づいているのである。

その上で、この分析は、非常に核心を突いていると思う。一見相反する神の二面性。そのどちらかだけでは、人々は救われない。オリエント型の神では恐れ多すぎて人間には近づけない。ギリシア型の神では人間と同じだから力がない。力ある恐れ多いオリエント型の神でありながら、ギリシア型の神のように人間と同じ存在になってくれたイエスだけが、人を救うことができるのである。折しもクリスマスが近いが、この「受肉」の神秘に思いを馳せたい。

もう一点。これまでキリスト教の歴史では、そのルーツであるユダヤ的要素が否定・排除され、後から付け加えられたギリシア的要素が重んじられる傾向があった。その反動から、キリスト教のユダヤ的ルーツを強調し、ギリシア的要素を不純物のように見なす動きが近年よく見られる。それはそれで正しい。正しいのだが、文化的な面から見ていった場合、キリスト教のルーツに於いて、ユダヤ的な要素ばかりではなくギリシア的な要素も重要であることは、やはり否定できないのではないだろうか。今回見た、「ギリシア型の神」のように。

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