『牛乳屋テヴィエ』に見る生のユダヤ人の姿

ショレム・アレイヘム作『牛乳屋テヴィエ』(岩波文庫)を読んだ。演劇・映画『屋根の上のバイオリン弾き』の原作として知られる、イディッシュ文学の名作である(らしい)。イディッシュ語というのは、東欧のユダヤ人の間で使われていた言語だ。本作の舞台は19世紀末〜20世紀初頭の、当時ロシア領だったウクライナ。貧しいユダヤ人の牛乳屋テヴィエが、作者の「ショレム・アレイヘム先生」に身の上話をするという体裁で書かれている。以下、気のついたことを何点か書いていく。

(以下、ネタバレあり)

まず、ユダヤ人と聖書の結びつきの深さだ。主人公のテヴィエは無学なふつうの庶民だが、そのことばの端々には聖書やタルムードのことばがたくさん引用される。何はさておき、教育を最大の財産としてきたユダヤ人だ。テヴィエのような貧しい庶民でも、聖書と、神への敬虔な信仰を教え込まれて育ったのであろう。もっとも、そんなテヴィエの聖書知識を、周囲の人間が呆れたり嫌がったりする描写も随所に見られることから、ユダヤ人がみなテヴィエのようであるわけではないのかも知れない。

次に、キリスト教徒に対するユダヤ人の思いである。ユダヤ人たちは「シュテトル」と呼ばれる共同村落に住んでいたが、周辺に住むキリスト教徒たちとも交流があった。時に宗教論争をするなど決して仲が良かったわけではないが、さりとて憎み合っているわけでもなく、出会えば互いにあいさつを交わすような間柄であった。

しかし、それはあくまで表面上のつきあいで済む場合の話だ。テヴィエの娘がキリスト教徒の若者と恋に落ちて密かに結婚した時、彼は怒り狂い、悲しみに暮れ泣きはらす。そして必死に弁明しようとする娘を無視し、彼女を死んだもの、はじめからいなかったものと見なして、勘当したのであった。他の娘たちの場合は、親の意にそぐわぬ結婚をしてもこんなことはなかった。よく、「ユダヤ人がキリスト教に改宗すると、その親は葬式を出す」と言われるが、キリスト教徒に対するユダヤ人のわだかまりは尋常ではない。

そして、ユダヤ人によるイスラエルの地(パレスチナ)への帰還、いわゆる「アリヤー」についてである。物語の背景となったのは、東欧から数多くのユダヤ人たちがパレスチナに入植を進めた時代だ。目次を見ると、終盤に「テヴィエ、パレスチナへ向かう」という章がある。テヴィエは一体どうやってパレスチナ(本文中では登場人物たちは「イスラエル」と呼称)に向かうのか、楽しみに読み進めていったが、実にひょんなことが発端となるのであった。

「アリヤー」の歴史を考える時、「何千人、何万人のユダヤ人がパレスチナに帰還した」という「数」にばかり目が向きがちである。あるいは、聖書預言の成就としての側面ばかりを捉えがちだ。だが、そのユダヤ人たちの一人一人にはテヴィエのように顔があり、名前があり、人生がある。彼らがアリヤーを志し決断するまでには、各人それぞれに様々なドラマがあったことだろう。そしていざ実行するならば、家財道具を売り払い(テヴィエの場合は長年共に働いた馬車馬も売らなければならなかった)、家をたたみ、何より資金を工面する必要があった。アリヤーは今も続いている。その背後にある、生きた人間の営みに心を留めたい。

さて、パレスチナへと向かったはずのテヴィエであったが……結局は、キリスト教徒たちの迫害にあって、集落丸ごと追放されてしまう。ロシアに於けるユダヤ人迫害「ポグロム」だ。それでもテヴィエたちは追放されただけだが、ポグロムでは多くのユダヤ人が虐殺されている。ところが、迫害者であるキリスト教徒たちは、別にユダヤ人たちを憎んでいたわけではない。前述のとおり、それなりにうまくやっていたのである。だが、「村会が決めたから」という理由で−ただユダヤ人だからというだけで−彼らを迫害したのであった。ユダヤ人だというだけで迫害を受ける。後のホロコーストや、現在のハマスのテロにも通ずる。実に理不尽だ。

このように、現代にもつながる生のユダヤ人の姿を垣間見ることができた。そういう意味で、私は普段あまり「小説」「文学」系の本は読まないので、新鮮だった。特に、ユダヤ人の救いを願うキリスト者の一人として、ユダヤ人とキリスト教徒の間に横たわる深いわだかまりを見せられた点は重要だった。それでも今、双方の和解を目指す団体なども起こっているから、そうした活動が実を結ぶことを願う。

ちなみに、作中には日本の話題も登場する。日露戦争で大国ロシアを打ち破った日本の評判は、帝国の西端ウクライナにも届いていたようだ。

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