「どうか 神が私たちをあわれみ 祝福し 御顔を私たちの上に 照り輝かせてくださいますように。 あなたの道が地の上で 御救いが すべての国々の間で知られるために。(詩篇67:1〜2)」
詩篇67篇を読んだ。短い詩なのでぜひ直接聖書を確認してほしい。ここでは、「国々」「諸国の民」「地の国民」「地の果てのすべての者」、すなわち世界のあらゆる民族、異邦人(非ユダヤ人)が救われ、彼らの間で神がほめたたえられるようにとの祈りが歌われている。「旧約聖書はユダヤ人の救いだけを教えている」と思い込んでいる人には意外な内容だろう。
しかし、その前提条件として、作者は「私たち」が祝福されるように、と祈る。作者は当然ユダヤ人なので、「私たち」=ユダヤ人。つまり、ユダヤ人の祝福こそが異邦人の救いの条件であることがわかる。
これは聖書が繰り返し語っていることだ。ユダヤ人を祝福する者は祝福され(創世1:23、使徒3:25)、ユダヤ人を愛する人々には平和があり(詩篇122:6)、ユダヤ人がみな救われる時にはすばらしいものが世界にもたらされる(ローマ11:12)。
私たち異邦人キリスト者は、聖書の福音がユダヤ人を介してもたらされたことに感謝しつつ、祈りをもって(詩篇122:6)、できることなら物質的なものをもって(ローマ15:27)、ユダヤ人を祝福してゆきたい。
「神が私たちを祝福してくださり 地の果てのすべての者が 神を恐れますように。(詩篇67:7)」
〈補足〉2025年2月3日追記
小林拓馬氏のyoutubeによると、この67篇は、過越祭から七週祭(ペンテコステ)に至る期間に読まれるものであり、異邦人の救いを指し示し、ペンテコステの出来事によってイスラエルと異邦人がひとつにされたことを表しているという。
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川崎貴洋