ルカ2:22〜38、シメオンとアンナの箇所を読んだ。この箇所には、「イスラエル」とか「エルサレム」とか、ユダヤ人を象徴する語が複数回登場するので、これらがキーワードだと思った。
「イスラエルの栄光」(32)と呼ばれるイエスによって、万民の中から救われ(31)、啓示の光を照らされた異邦人(32)として、私は、イスラエルが慰められること(25)と、エルサレムの贖い(38)を待ち望む。「イスラエルの慰め」「エルサレムの贖い」とは、ユダヤ人がイエスを信じて救われることである。
しかしイスラエルの多くの人々は、イエスの故に倒れたり立ち上がったりする。ある人々はイエスを信じるかも知れないが、多くの人々は信じずに反対する(34)。
だから私の召しは、ユダヤ人たちがイエスを信じて救われるようにとりなすこと。周囲の人々からは私のことを異端だとか聖書解釈が違うとか優先順位が違うとか反対されるのだが、ブレない。
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