ヤフコメのやりとりを巡る体験

ヤフーニュースに、イスラエル人質解放に関する記事が出ていた。それに付されたコメント欄に、クリスチャンと思われる人物から、旧約聖書を引き合いに、ハマス批判と日本はイスラエルに寄り添うべきだとする意見が投稿されていた。私は共感を覚えたので、同意の旨と「イスラエルを祝福する者は祝福される」との原則を書き送った。何回かやりとりがあったが、置換神学の誤りや日ユ同祖論への批判など、共有できる話題がたくさんあった。

ところが一点だけ相容れない問題があった。天皇についてである。この「コメ主」氏は「天皇制度」を激しく批判しており、これをありがたがっている限り「日本人は聖書の神には辿り着けないだろう」と主張する。しかし私は天皇肯定派で、「天皇制反対」のような主張は左翼の受け売りであってキリスト者的ではない、また天皇は日本の霊的な鍵であり、天皇がキリストを受け入れる時日本にリバイバルが起こると考えている。

しばらくやりとりする中で、私は全体的には「コメ主」氏の意見に賛成だったので同意を示しつつ、天皇観に於いてのみ異論を述べていた。しかし「コメ主」氏のほうでは私の天皇観に対して激しく反発して来て、天皇陛下個人への人格攻撃とも取れる発言もあり、天皇の救いについては全く悲観していた。そんな私たちのやりとりを他の未信者の人々は嘲笑うように見ており、却って良くないと思い、話を打ち切った。

イスラエルを支持し、置換神学を批判する立場の人は少ない。未信者にはもちろんだか、クリスチャンの中にもそういう人は本当に少ない。私のような主張をする者は、むしろクリスチャンから反対されたりする。だから、今回の「コメ主」氏のような人との出会いは貴重である。それだけに、本筋でないところで決裂してしまったのは残念であった。

置換神学の賛否、天皇制への賛否等は、重要であるが、それでも枝葉の問題である。大事なのは、イエス・キリストが、「私」の罪のために十字架で死んで葬られ復活した、と信じるだけで救われるという信仰を土台としていることだ。それがあれば、神学や政治の立場が違っていても、いっしょの活動をすることができなかったとしても、神の前では、霊的に一致させられたひとつの家族である。そのことを私も肝に銘じておきたいし、私を批判するクリスチャンにも覚えておいてほしい。

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