大河ドラマ『べらぼう』:神と人との逆転

NHK大河ドラマ『べらぼう』を観ている。第一回目で街が大火事になり、焼けそうになる稲荷神社で少女たちが「お願いかなわなくなっちゃう!」と狐像を運び出そうとしている。それを見つけた主人公の重三郎は、「いや、神様だろ……」と呆れながらも、「焼けなきゃいいんだろ!」とばかりに像をドブの水中に投げ入れる。そして神社の祠を背中に負って、運び出すのであった。以後、作中で重三郎が神社に願かけに来る時は、自分が助けてやったとの意識からか、いつもタメ口。……いや、神様だろ。神と人との立場がすっかり逆転してしまっているのだ。

聖書には、人が作った神々「偶像」は家畜などに運ばれなければならない。けれど、唯一の真の神は、むしろ人を背負って運んでくださる方だと書かれている。

「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。(注:「ベル」「ネボ」はバビロンの神々)彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。……ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。イザヤ46:1〜4

この記事へのコメント