キリシタンの反ユダヤ主義

ホアン・カトレット著『薩摩のベルナルドの生涯』(教友社)を読んだ。(厳密に言うと、ずっと前に一度読んだのだが、今回本稿を書くに当たり確認のため図書館で借りて再読した。)薩摩のベルナルド、あるいは鹿児島のベルナルドは、かのフランシスコ・ザビエルが2番目に洗礼を授けた日本人である。本来の日本名は苗字が「河辺(かわなべ)」であったらしいというほかはわかっていない。彼はまだ若い武士であった。ザビエルに忠実に仕え、彼が日本を去る時にも同行。中国へ向かった(それから間もなく死去)ザビエルと別れた後は、ポルトガルへ渡り、イエズス会士として学び、ローマにも訪れるのだが、23 歳で亡くなった。本書のサブタイトルにもあるとおり「初めてヨーロッパに行った日本人」である。

ベルナルドは誠実、敬虔な人物として評価され、ザビエルを始めとする多くの人々から愛されていた。そんなベルナルドであったが、ひとつ気になるエピソードがある。ローマからポルトガルに戻る旅路でのこと。同行していた神学生の中に、ヘブライ語を勉強していた者がいた。ベルナルドは「ヘブライ語は主イエスを十字架につけた人々の言葉である」「そのヘブライ語を勉強するとは、イエスの敵といっしょにいるのと同じことではないか」と考え、その神学生に激しく反発したのである。

典型的な反ユダヤ主義だ。突っ込みどころ満載の反ユダヤ主義だ。何より驚かされるのは、それまでユダヤ人に会ったことはおろかその存在さえ聞いたこともなかった日本人が、早々にヨーロッパ人のステレオタイプの反ユダヤ思想を受け入れ、身につけていたことである。また、敬虔で純粋な信仰を持った人だったにもかかわらず、人種で差別するような思想を安々と受け入れてしまったことである。いや、純粋だからこそ、一途な正義感からユダヤ人を憎んだのかも知れない。

ベルナルドらに始まる日本の「キリシタン」の信仰の忠実さはしばしば称賛されるところだが、このような影の部分もあった。残念なことだが、キリスト教会に入り込んだ反ユダヤ主義の根深さを思わされる。 ベルナルドは「プロテスタントが批判」し「ルターやその追随者が否定」する「優れたカトリック的信心」を示した、というから反プロテスタントでもあったであろう。だが、こと反ユダヤ主義に関しては、当のルターが激烈な反ユダヤ主義者であったくらいだから、プロテスタントも他人のことは言えない。

そして反ユダヤ主義は、置換神学や親パレスチナ・反イスラエル運動などの形をとって、現代日本のプロテスタント教会にも大きな影響を及ぼしている。心してかかりたい。

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