マリア崇敬の起源にちらつく女神信仰の影

教皇フランシスコが死去し、遺体はローマ市内の「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」に葬られた。このサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、「聖母マリア」に捧げられた聖堂の中では最も大きく、カトリック教会の中でも格別に権威あるところらしい。 そのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂であるが、かつて「キュベレ」という女神が祀られていた神殿のあった場所に建てられている。女神が祀られていた神殿の跡に聖母の聖堂がある。偶然だろうか?

古代の中東・地中海地域では、様々な女神が信仰されていた。聖書にも登場するカナンのアシュタロテやエペソのアルテミスをはじめ、エジプトのイシス、バビロンのイシュタル、ギリシアのアフロディテなどなど……。しかし、これらの地域にはやがて徐々にキリスト教が浸透してゆく。そして、キリスト教がローマ帝国の国教とされるに至って、古来の信仰は正式に禁止された。

この過程で、女神信仰からキリスト教に改宗していった人々、特に国教化で形だけ強制的にキリスト教徒にされ、真に改心したわけではない人々が、従来の女神と「イエスの母マリア」を混同したということはないだろうか。もっと言えば、女神たちを名前だけマリアに置き換えて、「聖母マリア」として引き続き拝み続けたのではないか。今日でもカトリック教会や正教会ではマリアに対し「神の母(生神女)」「天の女王」などと呼んで絶大な敬意を表しているが(一応「崇拝」ではなく「崇敬」ということになってはいるが)、聖書に根拠のないこの慣習が古代の女神信仰に起源があると考えれば、納得がいくのである。そういう意味で、今回の教皇の埋葬は象徴的であった。

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