真の聖所とユダヤ人

聖書に登場する幕屋とその発展形である神殿は、天にある目に見えない「真の聖所」の影、比喩である。ヘブル人への手紙9章には、「第一の幕屋が存続しているかぎり、聖所への道がまだ明らかにされていない」とある(ヘブル9:8)。これが書かれた時はまだ神殿があったが、まもなくローマによって破壊されてしまった。霊的に見れば、イエスが十字架でご自身のからだを完全ないけにえとしてささげ、「ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられ(ヘブル9:12)」たため、神殿はもう用済みになったのだろう。

だがユダヤ人たちは神殿にこだわった。今もこだわっていて、その再建を夢見ている。(そして聖書の預言によればそれはいずれ必ず実現する。)そしてイエスを信じなかった。今も信じていない。

ユダヤ人はどうすべきだったのだろう。もしユダヤ人がイエスをメシアとして、「真の神殿」として受け容れていたなら、神の救いは完成していただろう……しかし。そうしたら、異邦人にまで救いは行き渡っていなかった。ユダヤ人がイエスを拒絶したおかげで、異邦人にまで救いが回ってきた。そして最後に改めてユダヤ人がイエスを信じ受け容れることによって救いが完成するのである(ローマ11章)。

ああ、神のご計画は何と奥深く、計り知れないことか!(ローマ11:33参照)

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