聖書は2階建

聖書は、2階建の家に似ている。1階が旧約聖書で、2階が新約聖書だ。1階がなければ2階が存在することができないように、旧約聖書がなければ新約聖書は存在することができない。多くの人々が新約聖書のみを重視し、旧約聖書は既に過ぎ去ったもの、現在ではあまり重要ではないもの、もはや不要なものと考えている。しかし新約聖書は読者が旧約聖書を熟知していることを前提に書かれており、その内容は全て旧約聖書の預言の成就か、旧約聖書の解説か、旧約聖書の引用であると言っても過言ではない。旧約聖書を知らずして新約聖書を正しく知ることはできないのである。

では、1階抜きに2階のみで存在するということはできないだろうか。例えば地上部分を駐車場などに利用し、支柱で建物を支えているような構造だとどうだろう。1階がなくても2階だけ存在していると言えないだろうか。私は以前不動産登記関係の仕事をしていたが、この例のような場合は、単に1階が高い位置にあるというだけの話であって、あくまで中空の最下層階が1階となる。1階がない限り、2階はないのである。このように、旧約聖書抜きに新約聖書のみで存在するということはあり得ない。

逆に、新約聖書抜きに旧約聖書のみで存在することはできるだろうか。1階だけの建物、すなわち「平家建(ひらやだて)」があるように、存在することは可能だろう。しかし、聖書は平家建ではなく、あくまで2階建の建物として設計されている。1階たる旧約聖書だけでは、本来の目的・役割を果たすことができない。

やはり不動産登記関係で私が実際に見たことのある事例だが、本来2階建として設計され外見上も2階建に見える建物があった。ところが中に入ると、1階は普通の事務所として使用されているものの、2階部分は何らかの事情で未造作であり、柱や断熱材がむき出しで、使用できない状態だった。この場合、2階は建物としての用途を果たしていないので階層・床面積には算入されず、あくまで平家建となる。この建物が平家建の事務所として存在はしていても、設計されたとおりに2階建の建物としての役割を果たしてはいないように、旧約聖書だけでは、存在はできても、本来の役割を果たし設計された目的を全うすることはできない。聖書の目的、すなわちイエス・キリストによる救いが明らかにされるためには、新約聖書が不可欠である。

ちなみに、1階たる旧約聖書の上に、新約聖書ではなく「タルムード」(福音書の中でイエスが言うところの「先祖たちの言い伝え」、いわゆる「口伝律法(くでんりっぽう)」が集大成されたもの)を2階として乗せたのがユダヤ教だ。また、1階の旧約聖書と2階の新約聖書に改造を加えた上、その上に3階として「クルアーン(コーラン)」を乗せたのがイスラム教である。これらは宗教聖典として完成はしているが、本来神が定めた聖書の設計と異なっているため、キリストの救いが明らかにされていない。


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