天皇の救いのために祈ろう

日本のクリスチャンは、天皇陛下とご皇族方の救いのためにもっと祈るべきだと思う。日本のクリスチャンの間には、天皇に対するアレルギーというか嫌悪感のようなものがあるのではないか。理由のひとつは、日本のキリスト教界が左翼・共産主義の影響を多分に受けているから。もうひとつは、天皇が神道と強く結びついているからであろう。

しかし、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。ローマ13:1」と聖書に言われている。これを受けて、総理大臣のことまでは割と多くの人がとりなし祈っている。しかし天皇のためにとりなし祈っている人は少ないのではないか。だか憲法に於いて「日本国民統合の象徴」と規定され、総理大臣任命の権限も持っている天皇は、その歴史的背景を考えても、日本国の最高権威である。神がこの国の上に立てられた器である天皇のために祈ることは、日本のクリスチャンにふさわしい。

また神道との関係についてであるが、天皇の一番重要な役割は、日本国民の安寧のため八百万の神々・天神地祇(てんじんちぎ)にとりなし祈ることだ。天皇は、いわば神道の大祭司である。だからこそ、その天皇が真の大祭司であるイエスを信じ、イエスの名によって天地の創造主である唯一の真の神に、日本国民の安寧をとりなし祈るようになるなら、日本国民全体がこぞってイエスを信じ、日本民族皆が救われるようになるだろう。王が神に従う時は国全体が神に従い、王が神に背く時には国全体が神に背く。指導者の信仰が民全体に影響を及ぼすというのが聖書の原則だ。天皇がキリストを信じれば、日本に「リバイバル」が起こる。天皇こそ、日本の霊的な鍵であると私は考えている。

もちろん、実際にはそれは非常に難しいことだろう。そもそも国民の枠外にいる天皇には基本的人権が認められていないから、信教の自由がない。神道と不可分の存在であり、恐ろしいほどの伝統としがらみに縛られた天皇がイエスを信じることができるとは、考えづらい。また、天皇の存在自体を好ましく思っていない(前述の通りキリスト教界も多くがこの立場にある)左派勢力も、伝統的な天皇のあり方に固執する右派・保守勢力も、激しく反発するだろう。だが、神にできないことはない。天皇陛下とご皇族方の「奇跡的な」救いのために、ぜひ祈ろうではないか。

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