よく、イスラエル十二部族のうち、北王国「イスラエル」の十部族は消息不明になって失われてしまい、南王国「ユダ」の二部族の子孫が現在の「ユダヤ人」になったと言われる。しかし、北の十部族の行方は単純ではなく多様であり、確かに消息不明になって失われた人々も一部にはいたであろうが、南の二部族と合流し一体化していった人々も少なくなかったことを、過去記事で指摘した。(「失われた?十部族の行方と日ユ同祖論」http://cavazion.seesaa.net/article/515078331.html 参照。)
ただ、捕囚以後はイスラエル人はみな「ユダの国の人々」という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。呼び名の上では南王国がイスラエル人全体を乗っ取ったというか飲み込んだ形であり、そういう意味では北の十部族は失われたとも言える。
その北王国の呼び名が回復するのが、はるかに時代が下って二十世紀である。世界各地に散らされていたユダヤ人たちが、先祖たちの住んでいた土地に帰還し祖国を再建した時、採用した国名は「イスラエル国」であった。これはむしろ十二部族全体を意識したもなのであろうが、図らずも北王国の名前でもある。そして、現在イスラエル国に集まっているユダヤ人の中には北王国系の人々もいるであろう。
再建されたユダヤ人国家が北王国の名を名乗る。現代イスラエル国の存在こそ、北の十部族の回復であり、イスラエル十二部族の再統一と言えるのではないか。……少なくとも、呼び名の上では。

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