クリスマス問題を教会史で解く

クリスマスは実際にイエスが生まれた日ではなく、本来は異教の太陽神の祭であった。──幼い頃から「クリスマスはイエスさまの誕生日」と信じてきた私にとって、この事実を知ったことは大きなショックであった。そして、クリスマスを祝うことは偶像礼拝ではないのか、日本の行事は「異教由来だから」と言って禁ずるのに、どうして西洋のクリスマスは異教由来でも無批判に受け入れるのか、という疑問を抱いた。私は、クリスマスを素直に祝えなくなってしまった。

その後、再びクリスマスを素直に祝えるようになるまで20 年くらいかかった。妥協したというのも正直ある。しかし最も大きな理由は、教会の歴史を学んだことだ。あるきっかけがあってキリスト教会の歴史に興味を持ち、本やネットで調べるようになった。その中で見えてきたのは、私たちは1世紀のイスラエルから直接福音を受け取ったのではなく、長い時間をかけて、数多くの国々・地域を経由して福音を伝えられたのだということである。(具体的にはシリア、ギリシア、ローマと来てからヨーロッパ全域に広まり、更にはアメリカなど全世界に広まって、ついには日本にまで達したのだ。)

この過程で、経由した各地の文化が教会の中に取り入れられていった。その中には明らかに偶像礼拝と目される異教的なものもあるが(マリア崇敬などはその最たるものであろう)、福音のメッセージをより鮮明に浮き立たせるものもある。異論はあろうが、クリスマスは後者の例ではないかと思えるようになった。

それはまた、2000年間に渡って福音を宣べ伝え続けてきた教会の働きの、生きたしるしである。こうした壮大な福音宣教の歴史(教会史)を通して、私たちは今、キリストの福音を手にしている。クリスマスはそのひとつの象徴だと思う。

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