律法を成就したイエスの十字架

旧約聖書、特に「律法」(トーラー、モーセ五書)はユダヤ教・キリスト教双方の土台であるが、その様相はいずれとも大きく異なっている。具体的に言うと、律法の核心は、幕屋(後の神殿の原型)の建設と、そこで捧げられるいけにえであろう。だが、現在ユダヤ教やキリスト教でいけにえが捧げられることはない。

ユダヤ教の場合、ローマ軍の攻撃で神殿がなくなってしまったので、やりたくてもできないという事情がある。彼らは今、口伝律法の実践によってこれに代用している。

一方キリスト教の場合、イエスの十字架によって律法が成就されたと考える(ローマ10:4)。すなわち、イエスがご自身のいのちを完全ないけにえとして十字架上で捧げ、天上の真の幕屋に入ることによって私たちの罪の赦し、汚れのきよめを完成し(ヘブル9:11〜12)、死から復活することによってこの贖いが完了したことを証明したのである。だから、もはやいけにえが繰り返される必要はなくなった(ヘブル9:26)。

そこに現されているのは、私たちの救いのためにひとり子イエスのいのちさえお与えになった神の愛だ。この神の愛を受けた私たちは、自らも愛を行うように促されている。その時、律法の要求が真に満たされるのである(ローマ13:8〜10)。

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