律法を成就したイエスの十字架

旧約聖書、特に「律法」(トーラー、モーセ五書)はユダヤ教・キリスト教双方の土台であるが、その様相はいずれとも大きく異なっている。具体的に言うと、律法の核心は、幕屋(後の神殿の原型)の建設と、そこで捧げられるいけにえであろう。だが、現在ユダヤ教やキリスト教でいけにえが捧げられることはない。 ユダヤ教の場合、ローマ軍の攻撃で神殿がなくなってしまったので、やりたくてもできないという事情がある。彼…

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エステル記に現された神の摂理

エステル記は、聖書の中でも、その史実性を疑われることが多い書である。できすぎたそのストーリー、当時のペルシアやギリシアの記録に見られないこと、新約聖書に引用がないこと、死海写本の中にも見られないことなどが理由として挙げられよう。だが、聖書はすべて誤りなき神のことばと信じる私たち福音派は、エステル記もまた史実の記録であると信じるのである。もっとも、私はエステル記の史実性を裏づけるような知識は持ち合…

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旧新約聖書一貫した神の愛

今エレミヤ書を読んでいるのだが、思ったこと。旧約聖書の神(ヤハウェ)は、イスラエル(又はユダ)の民に対して非常に厳しくあたり、その罪を容赦なくさばく。特にエルサレムの滅亡を宣告する。しかし同時に大変あわれみ深く、その罪を赦し、民の回復、すなわち捕囚の地からの帰還とエルサレムの復興を約束される。 対して、新約聖書の神であるイエスも、ユダヤ人たちに対して非常に厳しくあたり、その偽善を容赦なく告…

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